『祇園御霊會細記』付小形祇園懸守三

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品番
#002
サイズ
綴本17×22 掛守総長8.5ほか
年代
宝暦七(1757)
商品カテゴリ
最低入札価格
¥30,000.~

物語

宝暦七年(1757)に刊行され、江戸中期の祇園祭礼の情報を満載する。

掲出は墨摺に手彩色を施して、長刀鉾を先頭に、宝暦七年当時の三十三基の山鉾の雄姿を伝える。祇園祭は祇園御霊会とも呼ばれた。御霊会は、早良親王や菅原道真のように政争に敗れた人の怨霊が祟って疫病をもたらすとされていた時代に、疫病が萬延すると、これらの怨霊を慰撫するための供養が執行され、歌舞・演劇などの芸能を奉納するあたりに原点をもち、多くの社寺で催されていたが、十世紀末から十一世紀初頭には祭主を祇園社に収斂させたとみられている。また、洛中を焼野原にした応仁の戦火により、山鉾の多くが罹災し、以来、今日につながる復興をつづけてきた。また、元治元年(1864)の禁門の変 (蛤御門の変)の大火(どんどん焼け)では多くの山鉾が再び焼失した。現在の山鉾の多くは、罹災後に復活したものである。祇園祭は、永く巡行を含む行事を前後に分け、前祭(23基)と後祭(10基)の態勢で執行されてきたものだが、諸般の事情から、昭和41年(1966)、祭礼の古義を離れ合同化された。以来、49年を経たが、平成26(2014)年、悲願であった祭礼の古態への復活を成就した。

所載に従ってこれを列記し、現行の山鉾との比較をしたい。
長刀鉾、函谷鉾、菊水鉾、鶏鉾、月鉾、放下鉾、船鉾、岩戸山、北観音山(観音山)、南観音山(観音山)、占出山、油天神山(牛天神山)、木賊山、郭巨山、太子山、山伏山、孟宗山、保昌山(花盗人山)、伯牙山(破琴山)、霰天神山、白楽天山、芦刈山、橋弁慶山、鈴鹿山、黒主山、鯉山、役行者山、八幡山、浄妙山、綾傘鉾(傘鉾)、凱旋船鉾、蟷螂山、鷹山。以上三十三基。
対して、現行の山鉾との出入りを確認すると、「鷹山」を欠き「四条綾傘鉾」を新たに加えて三十三基を数える。「四条傘鉾」は、『山鉾由来記』には休止のために登載されないが、応仁乱以前に起源する山鉾で、昭和63年(1988)に復元された。なお、「鷹山」は、『山鉾由来記』の姿のあと、前後屋根の時代を経て、文化七(1810)から十一年の(1814)の間に、黒漆塗の大屋根付きに改造されている。今回の復元では、大屋根付きの装いで再登場が図られる。三年ぶりの巡行では、平成九年(1997)に復元され、後の祭りの殿をつとめる「凱旋船鉾」の前を進んで、晴れ姿を披露する。本年は、三十四基が巡行するが、本年こそは、祭神である牛頭天王の神威が輝き、疫病コロナを退散させていただきたい。 

参考『祇園祭』祇園山鉾連合会.筑摩書房.昭和51.1976
                         『祇園祭大展』祇園山鉾連合会.平成6.1944
                           『放鷹』公益財団法人鷹山保存会.平成30.2018

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